3月8日(火) 中国語で天声人語

三一書房「核時代に生きる」



广岛市核爆炸发生后第二年,诗人栗原贞子的诗《地下室里的新生儿》发表于栗原自身编辑的杂志《中国文化》上。读1981年的复印版,我们可以看到在标题《地下室里的新生儿》下,标有副标题《原子弹秘话》。
据说栗原是通过别人的话得知了核辐射后分娩的情景,写成这首诗的。夜晚,在原广岛储金局的地下室里避难的临盆妇女即将分娩,“此时,一位从后背到左臂肘都负有重烧伤的接生婆说‘让我给你接生吧’”(出自三一书房的《活在核时代》)。
婴儿出生了,可是没有接生温水的设备。一直等到天明,一位轻伤的核辐射伤员来到“核子平原”,捡回了被烧得变了形的脸盆,用蘸水的布条擦干净了婴儿的身体。“母子是靠核辐射伤员们的支持才活下来的”。
多年以后,这位母亲这样对栗原说:“当时虽然你没在地下室,但是请你把当时的情景,我们当时的心情,如实地写成作品”
战后,栗原所表现的一贯如一的反战.反核及反骨的坚强精神是不同寻常的。基于其根底,应该存在着这首诗所象征的那种为延续生命而不惜生命的精神。在进行着史无前例的杀戮的城市的黑夜中,人们为了将一个新的生命送到世间而尽力。随后,新的生命之火点燃了,然而,另一盏生命的灯火却慢慢地熄去。
栗原也肩负着深深地创伤,为了和平的诞生用尽了平生的力量。之后,在被核辐射60年后的早春,92岁时离去了。

栗原 貞子さん


日本語原文:
詩人・栗原貞子さんの「生ましめんかな」は、広島市での被爆の翌年、栗原さん自身が編集した雑誌『中国文化』に発表された。81年に復刻された本を見ると、題は「生ましめん哉」で、副題に「原子爆弾秘話」とある。
栗原さんは、この被爆後の出産の様子を人づてに聞いて、詩にまとめたという。夜、旧広島貯金局の地下室で、避難していた臨月の女性が産気づく。「その時、『私が生ませてあげましょう』と言った産婆さんは背中一面と左腕の肘(ひじ)までやけただれていた重傷者だった」(『核時代に生きる』三一書房)。
赤ん坊は生まれたが、産湯の設備はない。夜明けを待って、軽傷の被爆者が「原子野」に出て行き、焼けてくちゃくちゃになった洗面器を拾い、布切れを水にひたして赤ん坊を拭(ふ)き清めた。「母子は被爆した人々に支えられて生きのびたのだった」
後年、この母親が栗原さんに言ったという。「あの時、地下室にいられなかったのに、その時の状況や、私たちの気持ちを、そのまま作品化して下さって」
栗原さんが戦後に貫いた反戦、反核、そして反骨の精神は並はずれて強固なものだった。その底には、この詩が象徴する、命がけの命の伝達があったのではないか。未曽有(みぞう)の殺戮(さつりく)が行われた街の深い闇の中で、人々が一つの命を世に送り出すために力を尽くす。そして、新しい命を灯(とも)して、一つの命が消えてゆく。
栗原さんもまた、深い傷を背負いながらも、平和を生ましめんとして力の限りを尽くした。そして、被爆60年の早春に、92歳で逝った。






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by indarel | 2005-03-10 08:19 | 中国語で「天声人語」
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