3月10日(木) 中国語で天声人语

偏奇楼




“移居麻布,因住所为漆油之二层楼,故名偏奇楼”(出自《偏奇楼漫录》 译者注:日语的油漆一词读音为PENKI,与“偏奇”谐音)。60年前的3月10日拂晓,这所永井荷风久居的房子,在美军的东京大空袭中烧毁了。
“偏奇楼吐烈焰、、、、、、吾仅有观火之力,火焰时愈加猛烈,吾知此乃偏奇楼上万卷藏书之炎也”(出自《罹灾日录》)。荷风停留在原地,久久地看着家家户户的房子在焚烧,人们惊慌失措的光景。当时,隅田川附近的居民区一带,到处都是为了逃离火海而东奔西走的人。
从幸存者所描绘的当天夜晚的画上,我们可以看到火车站里重重叠叠地摆满了遇难居民遗体,河道被人体填平了。一夜之间约有10万人绝命。
第二天《朝日新闻》的头版头条的标题是《B29轰炸机130架,昨晓狂轰帝国首都》。内容是报道了大本营的新闻发表:“击坠敌机15架”。而对我方的受害状况未作具体报道。反思当时的传媒管制,竟使得发生在眼前的惨状未能报道,我不禁撼然。
在此之后,美军反复空袭了名古屋、大阪、神户等大城市,随后又开始了对中小城市的持续轰炸。虽规模不同,但东京的《地狱变相图》在全国各地不断重现。
荷风在受灾的前两天,领取了配给的葡萄酒。所谓葡萄酒,其实只是将葡萄榨成汁的东西,酸的不得入口。所以,他写下了这样的句子:“不知酿造之法而猥琐造酒,似不审外国之情局而开战之愚行也。”


永井 荷風




日本語原文:
「居を麻布に移す。ペンキ塗の二階家なり因つて偏奇館と名づく」(「偏奇館漫録」)。永井荷風が長く住んだこの家は、60年前の3月10日の未明、米軍による東京大空襲で焼かれた。
「わが偏奇館焼亡す……火焔の更に一段烈しく空に舞上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上万巻の図書、一時に燃上りしがためと知られたり」(「罹災日録」)。荷風は、家々の焼け落ちる様や人々の姿を、その場にしばらくとどまって見ていた。その頃、隅田川周辺の下町一帯では、猛火に追われた人々が逃げまどっていた。
生き残った人たちが当夜の有り様を描いた絵には、駅構内で幾重にも折り重なったり、川の中を埋め尽くすようにしたりして息絶えた住民たちの姿がある。一晩で約10万人の命が奪われた。
「B29約百三十機、昨暁/帝都市街を盲爆」。翌日の朝日新聞の一面トップの見出しだ。大本営発表を伝えたもので、「十五機を撃墜す」とあるが、被害状況の具体的な記述はない。統制下ながら、目の前の大被災を伝え得なかったことを省みて粛然とする。
この後、米軍は名古屋、大阪、神戸など大都市での空襲を重ね、更には中小都市へも爆撃を加え続けた。東京の地獄絵は、規模こそ違っても全国で繰り返された。
荷風は被災の2日前に、ぶどう酒の配給を受けたという。ぶどうの実をしぼっただけで酸味が甚だしくほとんど口にできないものだった。そして、こう記している。「醸造の法を知らずして猥(みだり)に酒を造らむとするなり。外国の事情を審(つまびらか)にせずして戦を開くの愚なるに似たり」




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by indarel | 2005-03-12 02:01 | 中国語で「天声人語」
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