2005年3月17日  中国語で「天声人語」


                              昭和7年(1932年)
オリンピックロサンゼルス
大会の馬術大障害で
西竹一騎兵中尉初優勝


凡是了解战前情况人大概都对西男爵这个名字感到熟悉吧。西男爵原名西竹一,出生于男爵之家,昭和初年,在洛杉矶奥运会上荣获马术金牌。他作为一名军人,从满洲转战硫磺岛后战死。
他留下了这样的逸闻,据说美军指名道姓地呼吁他放下武器,“奥运英雄西男爵,你快出来,我们不想向你进攻”,但是他抗战到底。当然也有人认为此话是后人杜撰的。从阵亡公报上可以看到,西男爵去世于60年前的今天,3月17日。
上周末,他的曾孙丹羽满彦(17岁)首次踏上了硫磺岛。他身着黑色领带、手持两台照相机,同其他大约110名遗属,环岛悼念。步行一周后他吃惊地发现这个使日美双方共2万7千名将士捐躯的岛屿竟然如此之小。他读过好几本记述有关他曾祖父的书籍,但是他说:“在我踏过了又黑又深的战壕和染遍了鲜血的海岸后,才第一次真正地感受到了曾祖父的身影”。
60年前,在满彦所攀登的摺钵山上,日美两国的青年展开了殊死地战斗。一张当时拍摄的星条旗飘扬在山巅的照片,直到今日在美国仍十分有名。它有一种鼓舞人心的力量。每当类似于同步攻击恐怖行动的事件发生,在遗属的集会上或征求协助传单上,一定可以看到这张照片。
满彦的祖父、西男爵的长子西泰德(77岁)说:“日美两国寄与硫磺岛的感情是正相反的”。“这个我们悼念死者的岛屿,也是美国国民庆祝赢得胜利的岛屿”。
今年秋天,满彦将就读于美国的大学。他打算在美国开始练习马术。他的曾祖父如果是活在和平的年代,一定直到晚年都在享受着马术的乐趣。


 硫黄島で米軍兵士が星条旗を立てる                             


日本語原文:
バロン西といえば、戦前を知る世代には懐かしい名前かもしれない。本名を西竹一(たけいち)という。男爵(バロン)の家に生まれ、昭和の初め、ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。軍人として、満州から転じた硫黄島で戦死した。
「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が残る。後の創作とみる説もある。戦死公報によると、西氏が亡くなったのは60年前のきょう3月17日だった。
ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さかった。曽祖父(そうそふ)を描いた本は何冊も読んだが、「暗く深い塹壕(ざんごう)や血のしみこんだ浜を歩いて初めて生身の姿 を実感できた」と話す。
満彦君が登った摺鉢(すりばち)山では60年前、日米の若者が死闘を展開した。山頂にはためく星条旗をとらえた写真は米国では今も名高い。士気を高める効果があるのだろう。同時多発テロ級の大難があると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。
「硫黄島に寄せる日米の思いは対照的です」と言うのは西氏の長男、西泰徳さん(77)。満彦君の祖父である。「私たちには死を悼む島でも、米国民には勝ち得た栄光を祝う島のようです」
満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。




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by indarel | 2005-03-17 08:31 | 中国語で「天声人語」
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