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3月17日(木)のひねり

1、『「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が残る。後の創作とみる説もある。』

原文は「。」で区切った4つの文で構成されていますが、最初の三つは同じ事柄を述べていて、中国語訳は同一文にした方がスッギリします。よって「そんな逸話が残る」を前に持って行き、2文に訳しました。ちなみに「バロン西」の横文字はもともと日本語の語順ではなく、最初は同じように「男爵・西」と中国語訳をつけて、アップしました。しかし、読み返して見ると、やっぱり変な感じがして、「男爵西」に訂正した経緯があります。

訳文:他留下了这样的逸闻,据说美军指名道姓地呼吁他放下武器,“奥运英雄西男爵,你快出来,我们不想向你进攻”,但是他抗战到底。当然也有人认为此话是后人杜撰的。

2.「ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さかった。」

ここでは「ひ孫」、そして後の文には「曽祖父」、「祖父」と数回出てきました。西男爵と丹羽満彦の苗字が違うので、「曽外孫」、「曽外祖父」、「外祖父」の訳が正しい家族関係が反映されるかもしれません。しかし、裏づけがありませんので、原文のままに直訳して、「外」を入れていません。「島を巡った」は「環島」になりますが、中国語では物足りない感じがします。「环岛悼念」としました。「歩いてみると驚くほど小さかった」は「走一下发现了、、、」が直訳になります。しかし中国語では「走一下」だけでは「発見」には至るほどのニュアンスになりにくいので、本当はどれだけ歩いたかは分かりませんが、前後文からして少なくとも「巡った」ほど歩いたという意味合いが汲め、「步行一周后」と訳しています。

訳文:上周末,他的曾孙丹羽满彦(17岁)首次踏上了硫磺岛。他身着黑色领带、手持两台照相机,同其他大约110名遗属,环岛悼念。步行一周后他吃惊地发现这个使日美双方共2万7千名将士捐躯的岛屿竟然如此之小。

3、「満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。」

原文は2文で構成されたこの文は、第2文の馬術を修飾する「平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはず」の部分が単独な意味を成し、独立させた方がより引き立ちます。この部分を後ろにもって行きました。「自分も米国で始めたいと考えている」の「始め」は、もちろん「開始」の意味ですが、中国語では、「開始+主動詞」でないと、欠落感があります。この後ろにつける動詞は「学習」と「練習」が考えられます。前文には「米国の大学に進む」とあるので、「学習」ならば、「大学で」と誤解される恐れがあり、「練習」としました。

訳文:今年秋天,满彦将就读于美国的大学。他打算在美国开始练习马术。他的曾祖父如果是活在和平的年代,一定直到晚年都在享受着马术的乐趣。




by indarel | 2005-03-17 17:18 | 翻訳ーー今日のひねり
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