2005年3月19日(土)  中国語で「天声人語」

有些事情人们只凭着日期就能牢记。不管是多少年以后,那一天到过什么地方,做了些什么事情,都记得一清二楚。320是令许多人回忆起地铁沙林事件的代名词。明天是事件发生满10年的日子。
当天早上,我因为整理前一天出差带回来的行李,比平时晚了一些离开居所。当我在市中心下车的时候,我注意到了在上空盘旋的直升机,到报社后,得知了事件的内容。
如果我是按每天的上班时间出发,或者哪怕仅是比实际略微早一点点儿的话,也许我就在某处遇难了。电视镜头里的倒下去的人,也许就是我。大概每个在市中心通勤上班的人,都做过这种假设。
事件后的第二个春天,原教祖的首次公审开始了。我在报社的会议上,关于终审时期曾作过“本世纪内的可能性不大”的发言。当时周围的人因为听到我说得如此遥远,而发出了一阵嘘声。在那以后,我走访了山梨县的山九一村,目睹了那些被称为“沙地安”的巨大的房屋群。我遗憾万分,在富士山麓既然能看到这么多如此奇异的建筑,而我们为什么没能及早发现他们的罪行?
前年和去年,我短期地在法院旁听了对原教祖的审判。他在那里时而默默不语,时而嘟嘟囔囔,时而强忍着哈欠。似乎故意地回避着检察官的发言,回避着法官的宣判,回避着旁听席上的悲伤。
奥姆企图在国家里面建立新的国家。他们的目标是日本这个国家。一般市民可以说是被他们当作了国家的替身。我们所要追究的320问题,不应该仅仅是防止不加区别的恐怖活动,关怀照顾被害者及其家属,也是很重要的。



日本語原文:
日付で記憶される出来事がある。何年か後でも、その日どこにいて何をしていたかという話になる。多くの人が3・20で記憶する地下鉄サリン事件は、明日で発生から10年になる。
あの朝は、東京郊外の家をいつもより遅れて出た。前日に出張から帰り、荷解きしたものを整理していたからだ。都心の駅で外に出たところでヘリコプターが舞うのを見、新聞社に着いて事件を知った。
いつも通りか、やや早めに出ていれば、どこかで事件に巻き込まれた可能性はある。テレビ画面に映った横たわる人は、自分だったかもしれない。都心に通う人は、そんな思いを共にしただろう。
翌春、元教祖の初公判があった。判決の時期について「今世紀中は無理ではないか」と社内の会議で述べた。その遠さに周りが少しどよめいたようだった。その後、教団の本拠地だった山梨県の上九一色村へ行き、サティアンと呼ばれた巨大な建屋の群れを見た。富士山のふもとに、これだけ異様なものが立ち並んでいたのに、なぜ犯行を許してしまったのかと悔やまれた。
一昨年と昨年、元教祖の裁判を短時間だが傍聴した。黙して、時に口をもぐもぐしたり、あくびをかみころしたりしている。検察の論告も裁判官の言い渡しも傍聴席の痛切な思いも、はぐらかされているようだった。
オウムは国の中に国を造ろうとたくらんだ。標的は日本という国家だった。市民は、いわばその身代わりにされた。無差別テロの再発防止だけではなく、被害者や遺族への手厚い支えもまた、3・20が問い続ける課題だ。

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by indarel | 2005-03-20 01:22 | 中国語で「天声人語」
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