2005年4月4日(月)   天声人語

波兰的古都科拉克夫,现在还保留着浓郁地中世纪城镇风光。后日成为罗马教皇的约翰・保罗二世的卡罗尔・华迪卡就是出生在科拉克夫郊外小镇的华杜怀斯的。
在华杜怀斯附近,有后来建造了集中营的奥斯威辛。几年前,我站在流淌在科拉克夫的维斯瓦河河畔,感受到了这三个城镇的位置关系和教皇人生的命运般地关联。
当纳粹德国入侵波兰,第二次世界大战开始的时候,卡罗尔是一个哲学系的学生。大学被德军关闭了。他为了逃避被强送到德国当劳工,而在科拉克夫郊外的采石场工作。
“屏息倾听。铁锤有节奏地敲击着石头的声音……一种感情在我心头成长。劳动的真正价值,不是在人们的心里吗?”这是教皇当年写的诗。后来他在自传《立身于在怒涛》(恩典来书店出版)中说:“当时的那种不寻常的经历表达得相当恰当”。
不久他通过地下修院学习神学,成为神父,当了科拉克夫的大主教。他作为教皇鼓励祖国要求民主化的“团结”,为封闭教会道歉。他并表示了反对伊拉克战争。他对于历史和和平问题的明确表态和行动是引人瞩目的。
10年前,我在梵蒂冈有过一次和教皇握手的机会。他那年轻时代也许是握过铁锤的手是厚实的。“战争是人类制造的,战争就是死亡”。81年他在广岛所说的话好像从他的手里传了过来。

日本語原文:
ポーランドの古都クラクフは、中世の町並みを今もなお色濃く残している。後にローマ法王ヨハネ・パウロ2世となるカロル・ボイチワは、クラクフ郊外の町バドビツェで生まれた。
近くには、後に強制収容所がつくられたアウシュビッツがある。数年前、クラクフを流れるビスワ川のほとりに立って、三つの町の位置関係と法王の人生に、運命的なつながりを感じた。
ナチス・ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった時、カロルは哲学科の学生だった。独軍によって大学は閉鎖される。ドイツで強制労働をさせられる国外追放を避けるため、クラクフ郊外の石切り場で働いた。
「聞いてごらん。ハンマーが規則正しく石を打つ音を……ある想いが私の内で育って行く。仕事の真の価値は、人間の内面にあるのではないだろうかと」。自作の詩について、法王は後年、「当時の異常な体験がなかなか適切に表現されている」と自伝『怒涛に立つ』(エンデルレ書店)で述べている。
やがて地下活動で神学を学び、司祭になり、クラクフ大司教を務めた。法王としては、故国で民主化を求める「連帯」を励まし、教会が封印してきたことを謝罪し、イラク戦争に反対した。歴史と平和についての明確な発言と行動が際だっていた。
10年前、バチカンで法王と握手する機会があった。若き日にハンマーを握ったかもしれない手には、厚みがあった。「戦争は人間のしわざです。戦争は死そのものです」。81年に広島で発した言葉が、その手から伝わってくるようだった。

中国ホームページ総合ランキングは全200サイト中6位、引き続きクリックをよろしくお願いします。
中国ホームページランキングの確認方法:
ここをクリックして、画面が変わったら、中央
にあるカテゴリ別ランキングの3行目の
中国語学習(オンライン中国語講座、中国語教室等)を
クリックしてください。

[PR]
by indarel | 2005-04-06 04:03 | 中国語で「天声人語」
<< 2005年4月7日(木)   ... 一句 >>