2005年4月7日(木)    天声人語

在“战舰大和”出击冲绳的那一天,吉田満少尉准备好了遗书。“请把我的东西全部处理掉。祝大家身体健康、并请多多保重”。
第二天,也就是1945年、昭和20年4月7日,大和在九州海上受到美军飞机的猛攻而沉没了。这艘巨型军舰是日本和列强军火竞赛的象征,它的末日象征着日本军国主义的败北。
奇迹般地生存下来的吉田先生在战争结束后不久写的《战舰大和的末日》,记录了原委。这本书超越时空地被广泛阅读。一位刚刚大学毕业的青年的记述,现在读起来也给人以冲击。
“当时‘大和’几乎倾斜到90度……毫无保护的红色船腹几乎露出海面……巨大的火柱直插入夜空 ………战舰的全部碎片飞向空中”。吉田在漂流中抓住了一架绳梯获救。
在载满了漂流者的救生艇上有这样的事情。“攀在船边的手越来越多,力量也越来越大 ……救生艇的指挥官和下级船员们用战刀鞘驱赶手臂,啪、啪地打着密密麻麻地伸出的胳膊和手腕上……就像墨鱼无可奈何地自断其臂,他们的面孔,他们的目光,他们的眼神,我终生难忘”。
吉田先生战后进入日本银行,担任了分行行长和监事。看了《吉田満集著作》的年谱,会发现在详细的记述间,那个4月被如此记录:“参加冲绳特攻作战。 生还。”在参加和生还间没有1个字。但是,那文字间不知又有多少血肉横飞的战场呢?不仅仅是大和的末日,它令我想到了在所有的战场上出生入死、甚至被夺去生命的人的恸哭。

日本語原文:
戦艦大和が沖縄へ向けて出撃する日、吉田満少尉は遺書をしたためた。「私ノモノハスベテ処分シテ下サイ 皆様マスマスオ元気デ、ドコマデモ生キ抜イテ下サイ」
その翌日、1945年、昭和20年4月7日、大和は九州沖で米軍機の猛襲を受け沈没した。世界の列強と競って建造した軍艦の象徴だった巨艦の最期は、軍国・日本の敗北をも象徴していた。
奇跡的に生き残った吉田氏が、終戦直後にてんまつを記した『戦艦大和ノ最期』は、時を超えて読み継がれてきた。大学を出たての青年の記述は、今も鮮烈だ。
「時ニ『大和』ノ傾斜、九十度ニナンナントス……アナヤ覆ラントシテ赤腹ヲアラハシ……火ノ巨柱ヲ暗天マ深ク突キ上ゲ……全艦ノ細片コトゴトク舞ヒ散ル」。漂流中、一本の縄ばしごをつかみ助け上げられた。
漂流者で満杯の救助艇では、こんなこともあったという。「船ベリニカカル手ハイヨイヨ多ク、ソノ力激シク……ココニ艇指揮オヨビ乗組下士官、用意ノ日本刀ノ鞘(さや)ヲ払ヒ、犇(ひし)メク腕ヲ、手首ヨリバツサ、……敢ヘナクノケゾツテ堕チユク、ソノ顔、ソノ眼光、瞼ヨリ終生消エ難カラン」
吉田氏は戦後日本銀行に入り、支店長や監事を務めた。『吉田満著作集』の年譜を見る。詳細な記述の中で、あの4月はこう記されている。「沖縄特攻作戦に参加。生還」。参加と生還の間に一文字もない。しかしその字間に、どれほどおびただしい修羅があったことか。大和の最期に限らず、あらゆる戦場で命を奪われ、また命を削られた人たちの慟哭(どうこく)を思った。

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by indarel | 2005-04-07 08:52 | 中国語で「天声人語」
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