カテゴリ:中国語で「天声人語」( 24 )

2005年3月20日(日)  中国語で「天声人語」

スローフードバイブル
日本放送出版協会


某日下午,我在街上的食堂吃了一份咖喱饭。同一时间在离我不远的位子上坐着一位外国青年,也吃着咖喱饭。这位年轻人一小口一小口地用木筷子夹着米饭,蘸上咖喱后,慢慢地将其送入口中。在他的盘子旁边,还放着一碗酱汤。
“人生短暂。每个人都是相同的。与其急冲冲地失误,不如慢慢地享受人生的情趣”。 “国际慢餐协会”在108个国家里拥有8万会员。协会的意大利籍会长卡洛·佩特里尼到日本来了。上面的是他的话。1989年,该协会在巴黎通过了别具风格的“慢餐宣言”决议。“速度约束着我们的生活,我们每个人都被病毒所侵。这种叫做‘快速生活’的病毒,弄乱了我们的生活习惯,进入了我们的家庭,强迫我们食用‘快餐’”。
佩特里尼在所著的《慢餐经典》(日本放送出版协会出版)中提到,日餐才是日本真正的慢餐。“不希望日本的每一个人,屈服于那些没有个性,有损日本人气质的食物”。
从快餐大国访日来的国务卿赖斯,呼吁恢复进口牛肉。这当然是美国在追求其国家利益,但是国家利益里面难说没有包含着“某一集团”利益的一面。有人指责,“日本的研讨过程惊人地慢”。但是希望日本方面不要无益地加速,而是从安全第一的“国民利益”着眼。
我吃完咖喱饭后匆匆忙忙地起身离去。年轻人的盘子里还是满满的。



日本語原文:
ある午後、街中の食堂でカレーライスを食べていた。近い席に同じ頃座った外国の青年も、カレーライスを食べていた。青年は割りばしでご飯を少しずつつまみ、カレーに浸してゆっくりと口に運んでいる。皿のそばに、みそ汁もあった。
「短い人生。みんな同じ。急ぎすぎて失敗するより、ゆっくり生きた方がいい」。108カ国に8万人の会員を持つスローフード協会のイタリア人会長、カルロ・ペトリーニさんが来日し、そう述べたという。
協会は、89年にパリで、独特の味わいをもつ「スローフード宣言」を採択した。「私たちはスピードに束縛され、誰もが同じウイルスに感染している。私たちの慣習を狂わせ、家庭内にまで入り込み、『ファーストフード』を食することを強いる『ファーストライフ』というウイルスに」
ペトリーニさんの『スローフード・バイブル』(日本放送出版協会)には、和食こそ日本のスローフードとある。「日本人の皆さんには、個性のない食べ物、日本人らしさを損なう食べ物に屈してほしくない」
ファストフードの国からは、ライス国務長官が来日し、牛肉の輸入再開を訴えた。それがアメリカの国益の追求ということだろうが、国益には一部の「集団益」になりかねない面もある。「日本の検討のプロセスは信じられないほど遅い」。こんな声もあるというが、日本側はいたずらに急ぐことなく、安全優先の「国民益」で臨んでほしい。
カレーライスを食べ終えてそそくさと席を立ったが、青年の皿には、まだたっぷりと残っていた。

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by indarel | 2005-03-21 13:19 | 中国語で「天声人語」

2005年3月19日(土)  中国語で「天声人語」

有些事情人们只凭着日期就能牢记。不管是多少年以后,那一天到过什么地方,做了些什么事情,都记得一清二楚。320是令许多人回忆起地铁沙林事件的代名词。明天是事件发生满10年的日子。
当天早上,我因为整理前一天出差带回来的行李,比平时晚了一些离开居所。当我在市中心下车的时候,我注意到了在上空盘旋的直升机,到报社后,得知了事件的内容。
如果我是按每天的上班时间出发,或者哪怕仅是比实际略微早一点点儿的话,也许我就在某处遇难了。电视镜头里的倒下去的人,也许就是我。大概每个在市中心通勤上班的人,都做过这种假设。
事件后的第二个春天,原教祖的首次公审开始了。我在报社的会议上,关于终审时期曾作过“本世纪内的可能性不大”的发言。当时周围的人因为听到我说得如此遥远,而发出了一阵嘘声。在那以后,我走访了山梨县的山九一村,目睹了那些被称为“沙地安”的巨大的房屋群。我遗憾万分,在富士山麓既然能看到这么多如此奇异的建筑,而我们为什么没能及早发现他们的罪行?
前年和去年,我短期地在法院旁听了对原教祖的审判。他在那里时而默默不语,时而嘟嘟囔囔,时而强忍着哈欠。似乎故意地回避着检察官的发言,回避着法官的宣判,回避着旁听席上的悲伤。
奥姆企图在国家里面建立新的国家。他们的目标是日本这个国家。一般市民可以说是被他们当作了国家的替身。我们所要追究的320问题,不应该仅仅是防止不加区别的恐怖活动,关怀照顾被害者及其家属,也是很重要的。



日本語原文:
日付で記憶される出来事がある。何年か後でも、その日どこにいて何をしていたかという話になる。多くの人が3・20で記憶する地下鉄サリン事件は、明日で発生から10年になる。
あの朝は、東京郊外の家をいつもより遅れて出た。前日に出張から帰り、荷解きしたものを整理していたからだ。都心の駅で外に出たところでヘリコプターが舞うのを見、新聞社に着いて事件を知った。
いつも通りか、やや早めに出ていれば、どこかで事件に巻き込まれた可能性はある。テレビ画面に映った横たわる人は、自分だったかもしれない。都心に通う人は、そんな思いを共にしただろう。
翌春、元教祖の初公判があった。判決の時期について「今世紀中は無理ではないか」と社内の会議で述べた。その遠さに周りが少しどよめいたようだった。その後、教団の本拠地だった山梨県の上九一色村へ行き、サティアンと呼ばれた巨大な建屋の群れを見た。富士山のふもとに、これだけ異様なものが立ち並んでいたのに、なぜ犯行を許してしまったのかと悔やまれた。
一昨年と昨年、元教祖の裁判を短時間だが傍聴した。黙して、時に口をもぐもぐしたり、あくびをかみころしたりしている。検察の論告も裁判官の言い渡しも傍聴席の痛切な思いも、はぐらかされているようだった。
オウムは国の中に国を造ろうとたくらんだ。標的は日本という国家だった。市民は、いわばその身代わりにされた。無差別テロの再発防止だけではなく、被害者や遺族への手厚い支えもまた、3・20が問い続ける課題だ。

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by indarel | 2005-03-20 01:22 | 中国語で「天声人語」

2005年3月18日(金)  「中国語で天声人語」

ブッシュの戦争
日本経済新聞社


在以独家报道水门事件而著称的华盛顿邮报的鲍伯伍华德所著的《战火下的小布什》(日本经济出版社)里,有如下的一段记载。“我们要攻击的不只是基地组织,伊拉克也要打”。据书中介绍这是911恐怖案的第二天,国防部长.拉姆斯菲尔德在国家安全委员会上的发言。
“这句话不只是一个人的意见、、、、、、国防部副部长沃尔福威茨也主张在反恐战争的第一回合将伊拉克作为主要攻击目标”。据说布什总统将提名这位副部长担任世界银行行长。
沃尔福威茨是将美国政府引向“鹰派”方向的新保守主义的代表人物。他曾指责伊拉克拥有大规模杀伤性武器,但是直到今天也没有找到证据。尽管如此,这次的提名却好像是犒赏他为伊拉克战争立下功劳,派他出任国际机关的领导。
据传,在贫困问题方面任联合国秘书长安南的特别顾问的哥伦比亚大学教授萨克斯作出如下发言:“简直是令人大吃一惊,是很不适宜的提名”。日本是世界银行的主要资金提供者之一,然而据报道说,小泉首相在和布什总统的电话会谈中却对此一提名表示了支持。
伊拉克战争开始时,同样是小泉首相最先通过电话表示出支持,将日美同心协力的关系清晰勾勒得一览无余。伊拉克战争开战即将两年了。夺去了无数人生命的战斗至今没有停止。美军的“误击”也连续不断。
“先发制人战术本身,就是荒谬的误击”。历史没有可能不如此评论这场由新保守派所导演的战争。

ウォルフォウィッツ
国防副長官


日本語原文:
ウォーターゲート事件をスクープしたワシントン・ポスト紙のウッドワード氏の著した『ブッシュの戦争』(日本経済新聞社)に、こんなくだりがある。「アルカイダだけでなくイラクも攻めればいい」。9・11同時多発テロの翌日の国家安全保障会議の場で、ラムズフェルド国防長官が述べたという。
「この発言は、ひとりだけの意見ではなかった……ウォルフォウィッツ国防副長官も、テロリズムに対する戦争の第一ラウンドでイラクを主要攻撃目標にするという方針を唱えていた」。その副長官を、ブッシュ大統領が次の世界銀行総裁に指名するという。
この政権にタカ派的性格をもたらした新保守主義者(ネオコン)の代表格で、結局は見つからなかったイラクの大量破壊兵器の存在を主張していた。それなのに、イラク戦争での「論功行賞」のように国際機関のトップに据えようというのである。
貧困問題で、国連のアナン事務総長の特別顧問を務めるサックス・コロンビア大教授は「大変な驚きであり、不適切な指名だ」と述べたと伝えられる。日本は世界銀行への主な資金供与国の一つだが、小泉首相はブッシュ氏との電話会談で指名を支持したという。
やはり電話で小泉さんがいち早く支持を表明し、その一体ぶりが鮮明になったイラク戦争の開戦から間もなく2年になる。おびただしい人の命が失われたが戦闘はやまない。米軍による「誤射」も続いた。
「先制攻撃そのものが、とてつもない誤射だった」。ネオコン主導の戦争が、歴史にこう記されない保証はない。




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by indarel | 2005-03-18 07:49 | 中国語で「天声人語」

2005年3月17日  中国語で「天声人語」


                              昭和7年(1932年)
オリンピックロサンゼルス
大会の馬術大障害で
西竹一騎兵中尉初優勝


凡是了解战前情况人大概都对西男爵这个名字感到熟悉吧。西男爵原名西竹一,出生于男爵之家,昭和初年,在洛杉矶奥运会上荣获马术金牌。他作为一名军人,从满洲转战硫磺岛后战死。
他留下了这样的逸闻,据说美军指名道姓地呼吁他放下武器,“奥运英雄西男爵,你快出来,我们不想向你进攻”,但是他抗战到底。当然也有人认为此话是后人杜撰的。从阵亡公报上可以看到,西男爵去世于60年前的今天,3月17日。
上周末,他的曾孙丹羽满彦(17岁)首次踏上了硫磺岛。他身着黑色领带、手持两台照相机,同其他大约110名遗属,环岛悼念。步行一周后他吃惊地发现这个使日美双方共2万7千名将士捐躯的岛屿竟然如此之小。他读过好几本记述有关他曾祖父的书籍,但是他说:“在我踏过了又黑又深的战壕和染遍了鲜血的海岸后,才第一次真正地感受到了曾祖父的身影”。
60年前,在满彦所攀登的摺钵山上,日美两国的青年展开了殊死地战斗。一张当时拍摄的星条旗飘扬在山巅的照片,直到今日在美国仍十分有名。它有一种鼓舞人心的力量。每当类似于同步攻击恐怖行动的事件发生,在遗属的集会上或征求协助传单上,一定可以看到这张照片。
满彦的祖父、西男爵的长子西泰德(77岁)说:“日美两国寄与硫磺岛的感情是正相反的”。“这个我们悼念死者的岛屿,也是美国国民庆祝赢得胜利的岛屿”。
今年秋天,满彦将就读于美国的大学。他打算在美国开始练习马术。他的曾祖父如果是活在和平的年代,一定直到晚年都在享受着马术的乐趣。


 硫黄島で米軍兵士が星条旗を立てる                             


日本語原文:
バロン西といえば、戦前を知る世代には懐かしい名前かもしれない。本名を西竹一(たけいち)という。男爵(バロン)の家に生まれ、昭和の初め、ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。軍人として、満州から転じた硫黄島で戦死した。
「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が残る。後の創作とみる説もある。戦死公報によると、西氏が亡くなったのは60年前のきょう3月17日だった。
ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さかった。曽祖父(そうそふ)を描いた本は何冊も読んだが、「暗く深い塹壕(ざんごう)や血のしみこんだ浜を歩いて初めて生身の姿 を実感できた」と話す。
満彦君が登った摺鉢(すりばち)山では60年前、日米の若者が死闘を展開した。山頂にはためく星条旗をとらえた写真は米国では今も名高い。士気を高める効果があるのだろう。同時多発テロ級の大難があると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。
「硫黄島に寄せる日米の思いは対照的です」と言うのは西氏の長男、西泰徳さん(77)。満彦君の祖父である。「私たちには死を悼む島でも、米国民には勝ち得た栄光を祝う島のようです」
満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。




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by indarel | 2005-03-17 08:31 | 中国語で「天声人語」

3月16日(水)   中国語で「天声人語」

以创建地心学著称的托勒密,公元二世纪时活跃在埃及的亚历山大里亚。他还是个地理学家,并留下了一张不知真伪的托勒密地图。在地图上,遥远的东方的马来半岛被标注为黄金半岛。(出自中公新书社的《日本传说》)
在马来半岛旁的马六甲海峡海域上,乘有日本及其他国家船员的“韦驮天”号拖轮,遭到了海盗的袭击。这条海峡既浅又窄,以前就经常有海盗事件发生。去年底的大地震和强烈海啸发生后,听说海盗已经销声匿迹,他们卷土重来了吗?
据传在面向着海峡的小镇——马六甲的山丘上,曾经一时地安放过在日本传过教的弗朗西斯科・沙勿略的遗体。大佛次郎在战后不久的小说《归乡》里,描述过从这个山丘上所看到的小镇和海峡。
他笔下的一位日本画家,在书中讲述着这里的历史:“这里本来有自己的王朝、葡萄牙人打过来后修建了一座城堡、后来被荷兰人占领、之后又落到了英国人的手里。再之后是日本人来了、、、、、、今后、就不知道是哪国人要来的。其实这里就巴掌大的地方”。
这个使印度尼西亚和马来西亚、新加坡隔海相望的海上要冲,是列强侵略他国的十字路口。列强争霸的历史结束已久,但是海盗却猖狂依旧。我们要和防海啸同样,用东南亚全体的眼睛和手臂,寻找安全之路。
今天已不再是海盗们可以把“黄金半岛”一带,当作自己的“黄金海洋”的朝代了。


マラッカ海峡


日本語原文:
天動説で知られるプトレマイオスは、2世紀にエジプトのアレクサンドリアで活躍した。地理学者でもあり、本人の作かどうかは不明だが、「プトレマイオスの世界図」が残されている。そこでは、はるか東方のマレー半島はクリューセー(黄金半島)と記されている(『ジパング伝説』中公新書)。
マレー半島に沿うマラッカ海峡で、日本人などが乗るタグボート「韋駄天(いだてん)」が海賊に襲われた。浅くて狭い海峡は、以前から海賊の被害が多発している。暮れの大地震と大津波の後は、なりを潜めていたというが、犯行を再開したのだろうか。
海峡に面した町・マラッカの丘には、日本で布教したフランシスコ・ザビエルの遺骸(いがい)が、一時安置されていたという。大佛次郎は、この丘からの町と海峡の眺めを、終戦直後に「帰郷」で書いた。
日本人の画家に、土地の歴史を語らせ ている。「王朝があって、そこへポルトガル人が攻め込んで来て城を作ったのを、和蘭陀(オランダ)人が来て占領し、その後で英国が手を入れたんですね。それから今度は、日本人が来て……この後は、また、どこの国が来るんでしょうかね。黒子(ほくろ)のように小さい土地だけれど」
インドネシアとマレーシア・シンガポールを隔てるこの海の要衝は、列強の侵略が交錯する場だった。その奪い合いも終わって久しいのに、昔ながらに海賊が横行している。津波の対策と同様に、東南アジア全体の目と手で、安全の道を探ってはどうか。
「黄金半島」の周りを、海賊たちの「黄金の海」にしておく時代ではないだろう。


プトレマイオスの世界地図




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by indarel | 2005-03-16 08:59 | 中国語で「天声人語」

3月15日(火)  中国語で「天声人語」

昔日,拿破仑的大军进攻俄国时,俄国人纷纷出逃,把莫斯科变成了一座空城。当时四周一片火海,又面临着严冬将至,拿破仑军最终只好撤军。
这种把珍贵的宝物变成空壳,使得敌军丧失战意的做法,好似把草原烧成焦土,被喻为“焦土作战法”。据说日本放送公司现在正在酝酿采用此法。即将其主要子公司的股权转让给富士电视台。先放下他们层出不穷的大小动作不提,在此我们应该思考一下,这次的攻防战到意味着什么?
它是否意味着“媒体之兴衰”呢?传媒的发展史其实就是某一个时代的最强大的传媒,逐渐地转变为“众多传媒中的一分子”的历史。报纸业从明治时代以后始终独坐媒体的首席交椅,但在战后电视业的繁荣发展中,变成了众多传媒中的一分子了。
在互联网的繁荣发展中,电视业是否也将变成一种影响力较小的传媒呢?这场包含着文字、图像、电子信息三者们的较量结果,应该取决于他们自身的能力和各自的出手方式,以及读者、观众们的判断。这场争斗的确含有“媒体之兴衰”的要素,但我们还不知道是否就能因此构成媒体的新格局。
那么它是否意味着“新老之战”呢?新一代人们开创的新生事物,往往令老一代人们不知该如何地接触。所谓一代人,是指把载在人类悠久历史舞台上的,每一个人的有限的历史,归拢到一起的一个集团。被看作是操之过急的向旧事物的挑战,却正是后生之辈们的权利和命运。在这种意义上它是“新老之战”。
“焦土作战法”是企业自卫的一种手段。但我想知道它是否也能保卫在“焦土”上的公司员工和其家属们呢?
                              
原文:                                        <ナポレオン>

その昔、ナポレオンがロシアを攻めた時、ロシア側はモスクワをもぬけの殻にして逃げた。大火が起こり、冬将軍も迫って、ついにナポレオン軍は退却する。
価値あるものを空っぽにし、迫る敵の意欲をくじく「焦土作戦」を、ニッポン放送が検討中という。主要子会社の株をフジテレビに売ってしまう構想らしい。めまぐるしい動きが続くが、ここでは、今回の攻防とは何なのかを考えてみたい。
これは、「メディア(媒体)の興亡」なのか。ある時代の最大のメディアが「メディアの一つ」になってゆく。これがメディアの歴史だった。明治以後、メディアの首座を占めた新聞は、戦後のテレビの興隆で、メディアの一つとなった。
インターネットの興隆で、テレビは存在感の薄い一メディアになってゆくのか。文字、映像、電子情報という三つのメディアが絡み合う興亡の帰着は、その中身も含めた各メディアの競い方と、受け手の選択次第だろう。「メディアの興亡」をはらんではいるが、その帰趨(きすう)を決するほどの争いかどうかは、不透明だ。
それでは「新旧の攻防」なのか。新世代の掲げる旗は、いつも旧世代を戸惑わせてきた。世代とは、人類の悠久の歴史の上に個々人の限りある歴史を乗せた、ひとまとまりの集団だ。性急とも見える既存のものへの挑戦は、後から生まれた者の永遠の権利であり宿命でもある。その意味では「新旧の攻防」だ。
「焦土作戦」は企業防衛の手段という。それが「焦土」にされる会社の社員や家族の防衛にもなるのかどうかが気にかかる。

        ナポレオン軍モスクワ入城後、火災の熱気に悩まされる 




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by indarel | 2005-03-16 01:41 | 中国語で「天声人語」

3月14日(月)  本日は新聞休刊日

今日は「翻訳夜話」をアップします。
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by indarel | 2005-03-14 19:19 | 中国語で「天声人語」

3月13日(日) 中国語で「天声人語」

“刺股”是逮捕犯人时所使用的工具。使用时用装在棍状的长杆先端的U字形金属部按住犯人的脖子或身体。刺股也可称作指叉,在家喻户晓的《鬼平犯科帐》的故事里,长谷川平藏率领捕头追拿恶人时,用的就是刺股。
最近,刺股作为学校的办公用品,受人青昧。因为身份不明分子对在校师生的暴力事件接二连三地发生,使得越来越多的学校开始采购。还有很多学校请警察到学校来传授“刺股讲习”课。
东京都江户川区的零部件生产厂“实川制作公司”,是一个刺股生产厂家。现在每星期生产250杆刺股,供不应求。他们是在4年前,大阪府池田市的少儿屠杀案发生后,开始生产刺股的。因为公司总经理的实川亨社长是一位“鬼平”的爱好家,所以想到了生产刺股。他首先试作了3杆,并马上将其赠给了他女儿就读的小学。
那以后,只要是教育部门发生了什么事件,他们的订单就迅速增加。上个月,大阪府寝屋川市的小学事件的报道里说:“逮捕犯人时,刺股起了很大作用”。这更将刺股炒得更热。面对着突如其来的商机,实川半喜半忧地说:“我们的客户里有不少是幼儿园和医院,真难理解世道怎么变成了这样”。
据原中央学院大学教授、在刑罚史学上有造诣的重松一义先生(73岁)介绍,中世纪以来,刺股在西班牙等国作为捉拿犯人时的武器及拷问的刑具广为使用。在日本,刺股却被作为朝廷显示其权威的“威慑之具”,摆设在大堂上及各路关卡,而缺乏其实用的性质。
“学校很安全”之类的话早已成了传说。刺股和书香门第,听起来好象风马牛不相及,但有备无患。我衷心希望刺股在校园里只是作为装饰性的守门神。


「鬼平を歩く・実録長谷川平蔵の生涯」
重松 一義  佐々木 明 共著
   下町タイムス社出版

日本語原文:c0075561_0374838.gif
さすまたは罪人を捕まえる道具である。棒の先端についたU字形の金具で首や胴を押さえ込む。刺股とも指叉とも書く。おなじみ「鬼平犯科帳」では、長谷川平蔵率いる捕り手が悪党一味を追いつめる場面に出てくる。
このごろは学校の備品として脚光を浴びる。不審者が生徒や教師を襲う事件が続いて導入するところが増えた。警官を招いて「さすまた講習」を開いた学校も多い。
製造元のひとつ、東京都江戸川区の部品会社「実川製作」では毎週250本を出荷するが、注文に追いつかない。製造を始めたのは4年前、大阪府池田市で児童が殺された直後である。実川享社長(49)が大の鬼平ファンで、捕物の道具に目をつけた。試作した最初の3本はすぐ娘の通う小学校に贈った。
学校で何かあるとたちまち注文が殺到する。大阪府寝屋川市の小学校で先月起きた事件では「備品のさすまたが身柄拘束に役立った」と報じられ、拍車がかかった。「納入先には幼稚園や病院も多い。何とも物騒な世の中ですね」。思わぬ需要に実川さんもとまどう。
刑罰史に詳しい重松一義・元中央学院大教授(73)によると、さすまたは中世以来スペインなど各国で生け捕りや拷問に広く使われた。日本では実戦の武器という性格は薄い。むしろ幕府の司法権を見せつける「威圧の具」として、奉行所や関所に飾られた。
「学校は安全」という神話が崩れて久しい。教育の場におよそ似つかわしくない道具だが、何か備えがないと不安な時代である。願わくは、学(まな)び舎(や)の守り神で終わりますように。


実川製作(株)のホームページにあるさすまたの使用イメージ図








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by indarel | 2005-03-13 23:25 | 中国語で「天声人語」

3月12日(土)  中国語で「天声人語」

“有一天,橡树和芦苇要比一比看谁更顽强。风暴来了,芦苇弯下腰来随风摆动,逃过了一难;而顽强不屈,全力以赴地和风暴抗衡的橡树却被连根拔起了”。(摘自岩波文库《伊索寓言集》)
这里包含了不应该和强者硬碰硬地抗衡的寓意。芦苇的灵活应付,坚韧的精神的确很可贵。然而,迎风耸立、宁折不屈的橡树的也有其可取之处。
我不想说哪一方是橡树,哪一方是芦苇。富士电视台和活力门公司为了避过迎头的风暴,想方设法、绞尽脑汁的情景,不禁使我想起了这则寓言。
东京地方法院,认同了活力门公司的申诉,做出了禁止日本放送公司发行新的认股证的决定。不知富士电视台下一步要摆怎样的架势来挺过这次的暴风雨呢。活力门公司是乘着新媒体——互联网的大潮迅速成长起来的企业。而富士电视台则是战后日本所营造的一个电波媒体巨头。彼此的经历和社会机能是不同的。
《伊索寓言集》中还有一则狐狸和豹子比赛的故事。豹子张口闭口总是说自己漂亮无比,于是,狐狸对它说:“其实你并不知道我有多么地美丽,因为我的美不是美在外表,我的心灵是美丽多姿的”。这则寓言说出了在心灵深处修饰自己比外表美更加重要的道理。
在此,我仍不想说哪一方是哪一方。究其根本,他们二者间的竞争难道不应该是在内在部分的竞争吗?遗憾的是,他们现在却仅仅是在争持股量而已。

日本語原文:
樫(かし)と葦(あし)が頑丈さを競い合った。大風が吹いた時、葦は体を曲げ突風に身を任せて、根こそぎにされるのを免(まぬ)かれたが、樫は、抵抗して根っこから覆されてしまった(『イソップ寓話(ぐうわ)集』岩波文庫)。
強い者に対しては争ったり抵抗したりすべきではないという教えがこめられているという。確かに、葦のしなやかな対応ぶりや、そのしぶとさはいい。しかし風に向かって立ち続ける樫の姿にも、捨てがたいものがある。
どちらが樫で、どちらが葦というのではない。吹きつけてくる大風をしのごうとして、手だてを競い合うフジテレビとライブドアの姿に、この寓話を連想した。
東京地裁が、ライブドアの主張を認めて、ニッポン放送が予定していた新株予約権の発行を差し止める仮処分を決定した。フジテレビは、今度は、どんな構えでしのごうとするのか。ライブドアは、インターネットという新しいメディアの勢いに乗って大きくなってきた。フジテレビは、戦後の日本に築かれた巨大な電波メディアの一つだ。来歴も機能も異なる。
イソップには、狐(きつね)と豹(ひょう)が競い合う話もあった。豹が二言目には体色の多彩さを言い立てるので、狐が言った。「わたしの方がどれ程美しいことでしょう。だって、体ではなく、心が多彩なんですもの」。体の美しさより知性の装いが大事なことを説いているという。
これも、どちらがどちらと言うのではない。本来、両者の競い合いは、それぞれのメディアの中身でするものではないか。それが、株の数の競い合いになっているところが残念だ。

岩波文庫 「イソップ寓話集」





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by indarel | 2005-03-13 02:24 | 中国語で「天声人語」

3月11日(金)  中国語で天声人語

在法庭里看不到多年来一直申请“重审”的原被告人们的身影。被谓为战争时期最大的镇压言论自由事件的“横滨事件”的五位幸存者,全都作古了。继承了他们遗志的遗属们,在东京高级法院听到了“支持开始重审”的决定。
即使如此,也花去了他们太多的岁月。“舍身之审乃拾命哉”,这是原被告人的原《中央公论》社出版部部员木村亨在82岁临终的前几天所写下的诗句,含义深厚。
横滨事件是中央公论社和改造社的一些人,因涉嫌“企图再次结成共产党”而被神奈川县警察局特高科逮捕的事件。有4人死于严刑拷打。
昨天,东京高级法院做出了“原被告人们在重刑拷问下,有可能不得以地作了违心的坦白”的认定。在特高科的纪录里有:“你小心你将是第二个(死于重刑的)小林多喜二!”“在现在的圣战下你竟敢干这种事!”等逼供的纪录。20年前,当木村亨告诉辩护团团长的森川金寿,虽战争已结束了40年,但他还没有得到平反时,森川愕然失色(出自树花舍的《快开始重审横滨事件》)。
91岁的森川是拄着拐杖由木村的妻子真纪搀扶着步入高院法庭的。可见木村们的悲痛的申诉,现在仍被坚定地继承着。然而,我不禁要问他们为了挽回自己一度失去了的名誉,究竟要花费多少的时间和精力?
既然已经决定了重审,那么受审的应该是当时的司法、当时的国家、还有那场战争。



獄死したプロレタリア文学作家
小林多喜二



日本語原文:
裁判所には、長い間「再審」を求め続けていた元被告たちの姿はなかった。戦時下の最大の言論弾圧事件といわれる「横浜事件」の生き残りだったその5人は、ことごとく他界している。訴えを受け継ぐ遺族らが、東京高裁の「再審開始を支持」の決定を聞いた。
それにしても、長い年月がかかった。〈捨てし身の裁きにひろういのち哉〉。元被告の元「中央公論」出版部員、木村亨さんが82歳で亡くなる数日前に残した句にも、その思いがこもる。
横浜事件では、中央公論社や改造社の編集者ら多数が、「共産党の再結成に動いた」などの治安維持法違反容疑で神奈川県警特高課に検挙された。拷問が繰り返され、4人が獄死した。
昨日、東京高裁は「元被告らは、取り調べ中、拷問を受け、やむなく虚偽の疑いのある自白をした」と認定した。「(拷問死した)小林多喜二の二の舞いを覚悟しろ」「この聖戦下によくもやりやがったな」などと迫った特高の拷問の記録もある。弁護団長の森川金寿さんは、20年前、木村亨さんから、戦後40年になるのに名誉回復がなされていないと聞き、愕然(がくぜん)とした(『横浜事件の再審開始を!』樹花舎)。
つえをついて高裁に入る91歳の森川さんに、木村さんの妻まきさんが手を添えていた。木村さんたちの悲痛な訴えは、今もしっかり引き継がれているようだ。しかし、いったん失われた名誉の回復にどれだけの歳月と力を費やさなければならないのかとも思う。
再審が決まれば、裁かれるのは、当時の司法であり、国であり、あの戦争でもある。

松坂 まき 編 「横浜事件 木村亨全発言」







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by indarel | 2005-03-12 04:48 | 中国語で「天声人語」