「中国ホームページランキング」投票速報:暫定4位

日漢翻訳博客堂が登録しています「中国ホームページランキング」の3月19日23時20分現在の順位は4位です。ランキングの最終集計は3月31日で、この速報値は3月1日~現在までの投票数です。当サイトの立ち上げは3月10日で、「中国ホームページランキング」に登録したのは15日でした。すなわち当サイトの4日間の実績と人様の2週間を比較して、その結果が上記の暫定4位という成績です。当サイトがかなりのハンディキャップを背負っているにもかかわらず、みなさんのおかげで、このような高得点を得ることができました。本当に感謝しています!ご応援どうもありがとうございます!これからはさらに上を目指してがんばります。

                                   堂主敬白


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# by indarel | 2005-03-19 23:45 | 堂主の独白

2005年3月18日(金)  「中国語で天声人語」

ブッシュの戦争
日本経済新聞社


在以独家报道水门事件而著称的华盛顿邮报的鲍伯伍华德所著的《战火下的小布什》(日本经济出版社)里,有如下的一段记载。“我们要攻击的不只是基地组织,伊拉克也要打”。据书中介绍这是911恐怖案的第二天,国防部长.拉姆斯菲尔德在国家安全委员会上的发言。
“这句话不只是一个人的意见、、、、、、国防部副部长沃尔福威茨也主张在反恐战争的第一回合将伊拉克作为主要攻击目标”。据说布什总统将提名这位副部长担任世界银行行长。
沃尔福威茨是将美国政府引向“鹰派”方向的新保守主义的代表人物。他曾指责伊拉克拥有大规模杀伤性武器,但是直到今天也没有找到证据。尽管如此,这次的提名却好像是犒赏他为伊拉克战争立下功劳,派他出任国际机关的领导。
据传,在贫困问题方面任联合国秘书长安南的特别顾问的哥伦比亚大学教授萨克斯作出如下发言:“简直是令人大吃一惊,是很不适宜的提名”。日本是世界银行的主要资金提供者之一,然而据报道说,小泉首相在和布什总统的电话会谈中却对此一提名表示了支持。
伊拉克战争开始时,同样是小泉首相最先通过电话表示出支持,将日美同心协力的关系清晰勾勒得一览无余。伊拉克战争开战即将两年了。夺去了无数人生命的战斗至今没有停止。美军的“误击”也连续不断。
“先发制人战术本身,就是荒谬的误击”。历史没有可能不如此评论这场由新保守派所导演的战争。

ウォルフォウィッツ
国防副長官


日本語原文:
ウォーターゲート事件をスクープしたワシントン・ポスト紙のウッドワード氏の著した『ブッシュの戦争』(日本経済新聞社)に、こんなくだりがある。「アルカイダだけでなくイラクも攻めればいい」。9・11同時多発テロの翌日の国家安全保障会議の場で、ラムズフェルド国防長官が述べたという。
「この発言は、ひとりだけの意見ではなかった……ウォルフォウィッツ国防副長官も、テロリズムに対する戦争の第一ラウンドでイラクを主要攻撃目標にするという方針を唱えていた」。その副長官を、ブッシュ大統領が次の世界銀行総裁に指名するという。
この政権にタカ派的性格をもたらした新保守主義者(ネオコン)の代表格で、結局は見つからなかったイラクの大量破壊兵器の存在を主張していた。それなのに、イラク戦争での「論功行賞」のように国際機関のトップに据えようというのである。
貧困問題で、国連のアナン事務総長の特別顧問を務めるサックス・コロンビア大教授は「大変な驚きであり、不適切な指名だ」と述べたと伝えられる。日本は世界銀行への主な資金供与国の一つだが、小泉首相はブッシュ氏との電話会談で指名を支持したという。
やはり電話で小泉さんがいち早く支持を表明し、その一体ぶりが鮮明になったイラク戦争の開戦から間もなく2年になる。おびただしい人の命が失われたが戦闘はやまない。米軍による「誤射」も続いた。
「先制攻撃そのものが、とてつもない誤射だった」。ネオコン主導の戦争が、歴史にこう記されない保証はない。




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# by indarel | 2005-03-18 07:49 | 中国語で「天声人語」

プロフィールを更新しました

プロフィールにいくつかの項目を増やし、リンクをつけました。
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# by indarel | 2005-03-18 00:12 | 堂主の独白

記録更新! 今朝の投稿時間  8:31

今日は昨日と同じく朝7時に起きて、「天声人語」の翻訳に取り掛かりました。8時半投稿を意識して、限定90分で終わらせようと思っていましたが、1分間オーバーしました。限定90分ということが学生時代に試験を受けることを思い出させまして、久しぶりに緊張しました。8時25分ごろからはほぼ1分おきに時計を見てしまい、ドキドキしながらパソコン入力していました。結果的に記録を28分塗り替えられてよかったです。
朝の翻訳がくせになりそうです。
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# by indarel | 2005-03-17 18:15 | 堂主の独白

3月17日(木)のひねり

1、『「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が残る。後の創作とみる説もある。』

原文は「。」で区切った4つの文で構成されていますが、最初の三つは同じ事柄を述べていて、中国語訳は同一文にした方がスッギリします。よって「そんな逸話が残る」を前に持って行き、2文に訳しました。ちなみに「バロン西」の横文字はもともと日本語の語順ではなく、最初は同じように「男爵・西」と中国語訳をつけて、アップしました。しかし、読み返して見ると、やっぱり変な感じがして、「男爵西」に訂正した経緯があります。

訳文:他留下了这样的逸闻,据说美军指名道姓地呼吁他放下武器,“奥运英雄西男爵,你快出来,我们不想向你进攻”,但是他抗战到底。当然也有人认为此话是后人杜撰的。

2.「ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さかった。」

ここでは「ひ孫」、そして後の文には「曽祖父」、「祖父」と数回出てきました。西男爵と丹羽満彦の苗字が違うので、「曽外孫」、「曽外祖父」、「外祖父」の訳が正しい家族関係が反映されるかもしれません。しかし、裏づけがありませんので、原文のままに直訳して、「外」を入れていません。「島を巡った」は「環島」になりますが、中国語では物足りない感じがします。「环岛悼念」としました。「歩いてみると驚くほど小さかった」は「走一下发现了、、、」が直訳になります。しかし中国語では「走一下」だけでは「発見」には至るほどのニュアンスになりにくいので、本当はどれだけ歩いたかは分かりませんが、前後文からして少なくとも「巡った」ほど歩いたという意味合いが汲め、「步行一周后」と訳しています。

訳文:上周末,他的曾孙丹羽满彦(17岁)首次踏上了硫磺岛。他身着黑色领带、手持两台照相机,同其他大约110名遗属,环岛悼念。步行一周后他吃惊地发现这个使日美双方共2万7千名将士捐躯的岛屿竟然如此之小。

3、「満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。」

原文は2文で構成されたこの文は、第2文の馬術を修飾する「平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはず」の部分が単独な意味を成し、独立させた方がより引き立ちます。この部分を後ろにもって行きました。「自分も米国で始めたいと考えている」の「始め」は、もちろん「開始」の意味ですが、中国語では、「開始+主動詞」でないと、欠落感があります。この後ろにつける動詞は「学習」と「練習」が考えられます。前文には「米国の大学に進む」とあるので、「学習」ならば、「大学で」と誤解される恐れがあり、「練習」としました。

訳文:今年秋天,满彦将就读于美国的大学。他打算在美国开始练习马术。他的曾祖父如果是活在和平的年代,一定直到晚年都在享受着马术的乐趣。




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# by indarel | 2005-03-17 17:18 | 翻訳ーー今日のひねり

3月16日(水)のひねり

1.「マレー半島に沿うマラッカ海峡で、日本人などが乗るタグボート「韋駄天(いだてん)」が海賊に襲われた。浅くて狭い海峡は、以前から海賊の被害が多発している。」
日本語の「~~海峡」の中国語訳は「~~海峡」のままでいいのですが、「~~海峡で」では、「~~海峡」と「~~海峡海域」の2種類の訳し方があります。ニュース性の話題や事実関係を述べる場合は後者の方がより具体性を帯びるので、「海域」をつけました。「日本人などが乗る」の訳ですが、「日本人等」と訳すと、中国語としては違和感があります。文意により「及其他国家船员」と訳しています。
訳文:在马来半岛旁的马六甲海峡海域上,乘有日本及其他国家船员的“韦驮天”号拖轮,遭到了海盗的袭击。这条海峡既浅又窄,以前就经常有海盗事件发生。

2.「大佛次郎は、この丘からの町と海峡の眺めを、終戦直後に「帰郷」で書いた。
日本人の画家に、土地の歴史を語らせている。」
「日本人の画家に、土地の歴史を語らせている」。この文は上の段落の「大佛次郎は、この丘からの町と海峡の眺めを、終戦直後に「帰郷」で書いた。」を受けています。つながりをつけて訳さないと、意味が通じません。直訳したら、「他让日本画家,讲述着土地的历史」になります、これでは、全く意味が分かりません。
訳文:大佛次郎在战后不久的小说《归乡》里,描述过从这个山丘上所看到的小镇和海峡。
他笔下的一位日本画家,在书中讲述着这里的历史

3.「インドネシアとマレーシア・シンガポールを隔てるこの海の要衝は、列強の侵略が交錯する場だった。」
「交錯する場」を最初に読んで、「交叉点」という訳出が浮かびましたが、ここでの訳出を何にするか迷いました。解釈して訳すなら、“火并地”が適訳かもしれませんが、原文の味を出そうと「十字路口」にしました。どれか良かったのでしょうか。
訳文:这个使印度尼西亚和马来西亚、新加坡隔海相望的海上要冲,是列强侵略他国的十字路口。




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# by indarel | 2005-03-17 11:33 | 翻訳ーー今日のひねり

3月15日のひねり

3月15日(火)
1.「価値あるものを空っぽにし、迫る敵の意欲をくじく「焦土作戦」を、ニッポン放送が検討中という。」
原文は一文ですが、「を」までは「検討中」の目的語であるのため、中国語に直訳すると動詞と目的語が遠すぎて、読んでいるうちに主語が分からなくなる恐れがあります。よって、中国語は「ニッポン放送、、、」より後ろの部分を別の文にしています。そして、蛇足になる危険をあえて冒して、「好似把草原烧成焦土」という原文にない「焦土作戦」の言い換えをつけました。「焦土作戦」もそのままで転用せず、「焦土作戦法」としました。
訳文:这种把珍贵的宝物变成空壳,使得敌军丧失战意的做法,好似把草原烧成焦土,被喻为“焦土作战法”。 据说日本放送公司现在正在酝酿采用此法。
2.これは、「メディア(媒体)の興亡」なのか。ある時代の最大のメディアが「メディアの一つ」になってゆく。これがメディアの歴史だった。
「メディアの一つ」を「媒体之一」と訳しても良いのですが、原文に潜めてある「メディア業界中の一業種」というニュアンスをうまく表現するには「众多传媒中的一分子」とした方が意味が近いと思います。また、上記の1と違って、「ある時代の最大のメディアが「メディアの一つ」になってゆく。これがメディアの歴史だった。」の後ろの2文は同じことを言っています。2文に分けて訳すと、バラバラになるので、一文にまとめました。
訳文:它是否意味着“媒体之兴衰”呢?传媒的发展史其实就是某一个时代的最强大的传媒,逐渐地转变为“众多传媒中的一分子”的历史。
3.「世代とは、人類の悠久の歴史の上に個々人の限りある歴史を乗せた、ひとまとまりの集団だ。性急とも見える既存のものへの挑戦は、後から生まれた者の永遠の権利であり宿命でもある。」
この文は一つ一つシンプルですが、抽象的なことを述べていますので、逆にまとめにくいかもしれません。「歴史」が2回出ていますが、最初の「歴史」を「歴史舞台」としました。最後の文の後ろ半分に「逆に」という意味合いの意味が含まれていますので、訳出されないと正しく伝わらないと思います。「却」を入れています。
訳文:所谓一代人,是指把载在人类悠久历史舞台上的,每一个人的有限的历史,归拢到一起的一个集团。被看作是操之过急的向旧事物的挑战,却正是后生之辈们的权利和命运。




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# by indarel | 2005-03-17 10:36 | 翻訳ーー今日のひねり

2005年3月17日  中国語で「天声人語」


                              昭和7年(1932年)
オリンピックロサンゼルス
大会の馬術大障害で
西竹一騎兵中尉初優勝


凡是了解战前情况人大概都对西男爵这个名字感到熟悉吧。西男爵原名西竹一,出生于男爵之家,昭和初年,在洛杉矶奥运会上荣获马术金牌。他作为一名军人,从满洲转战硫磺岛后战死。
他留下了这样的逸闻,据说美军指名道姓地呼吁他放下武器,“奥运英雄西男爵,你快出来,我们不想向你进攻”,但是他抗战到底。当然也有人认为此话是后人杜撰的。从阵亡公报上可以看到,西男爵去世于60年前的今天,3月17日。
上周末,他的曾孙丹羽满彦(17岁)首次踏上了硫磺岛。他身着黑色领带、手持两台照相机,同其他大约110名遗属,环岛悼念。步行一周后他吃惊地发现这个使日美双方共2万7千名将士捐躯的岛屿竟然如此之小。他读过好几本记述有关他曾祖父的书籍,但是他说:“在我踏过了又黑又深的战壕和染遍了鲜血的海岸后,才第一次真正地感受到了曾祖父的身影”。
60年前,在满彦所攀登的摺钵山上,日美两国的青年展开了殊死地战斗。一张当时拍摄的星条旗飘扬在山巅的照片,直到今日在美国仍十分有名。它有一种鼓舞人心的力量。每当类似于同步攻击恐怖行动的事件发生,在遗属的集会上或征求协助传单上,一定可以看到这张照片。
满彦的祖父、西男爵的长子西泰德(77岁)说:“日美两国寄与硫磺岛的感情是正相反的”。“这个我们悼念死者的岛屿,也是美国国民庆祝赢得胜利的岛屿”。
今年秋天,满彦将就读于美国的大学。他打算在美国开始练习马术。他的曾祖父如果是活在和平的年代,一定直到晚年都在享受着马术的乐趣。


 硫黄島で米軍兵士が星条旗を立てる                             


日本語原文:
バロン西といえば、戦前を知る世代には懐かしい名前かもしれない。本名を西竹一(たけいち)という。男爵(バロン)の家に生まれ、昭和の初め、ロサンゼルス五輪で馬術の金メダルに輝く。軍人として、満州から転じた硫黄島で戦死した。
「五輪の英雄バロン西、出てきなさい。君を失うのは惜しい」。米軍が名指しで投降を呼びかけたが、西氏は抗戦を貫いた。そんな逸話が残る。後の創作とみる説もある。戦死公報によると、西氏が亡くなったのは60年前のきょう3月17日だった。
ひ孫にあたる丹羽満彦君(17)は先週末、初めて硫黄島に渡った。黒いネクタイにカメラを2台携え、遺族ら約110人と島を巡った。日米で2万7千人もの将兵が散った島は、歩いてみると驚くほど小さかった。曽祖父(そうそふ)を描いた本は何冊も読んだが、「暗く深い塹壕(ざんごう)や血のしみこんだ浜を歩いて初めて生身の姿 を実感できた」と話す。
満彦君が登った摺鉢(すりばち)山では60年前、日米の若者が死闘を展開した。山頂にはためく星条旗をとらえた写真は米国では今も名高い。士気を高める効果があるのだろう。同時多発テロ級の大難があると、遺族の集会や篤志を募るビラにあの写真がきまって登場する。
「硫黄島に寄せる日米の思いは対照的です」と言うのは西氏の長男、西泰徳さん(77)。満彦君の祖父である。「私たちには死を悼む島でも、米国民には勝ち得た栄光を祝う島のようです」
満彦君はこの秋、米国の大学に進む。平和な時代であれば曽祖父が晩年まで楽しんだはずの馬術を、自分も米国で始めたいと考えている。




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# by indarel | 2005-03-17 08:31 | 中国語で「天声人語」

レイアウト変更

昨日、一部の文章と写真のレイアウトを変えました。日本語原文も中国語訳文の下に付けましたので、それぞれのスレッドが長くなります。

「中国語翻訳」のロゴもしつこいぐらいつけました。みなさん、押してくださいね。(笑)




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# by indarel | 2005-03-16 09:48 | 堂主の独白

投稿時間  8時59分

16日の「中国語で天声人語」は朝7時に起きてからの翻訳でした。特に急いだわけではないのですが、やはり投稿時刻を意識をしながらの翻訳でした。まずまずのできじゃないかなと思っています。今後この記録をとこまで更新できるかは楽しみです。ただ、あまりスピードを求めすぎると、正確さ、表現力をおろそかになりがちなので、ほどほどにします。ちなみに、朝刊の毎日の配達時間は5:40前後です。
15、16日の「翻訳・今日のひねり」は今晩アップします。
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# by indarel | 2005-03-16 09:33 | 堂主の独白