3月11日(金)  中国語で天声人語

在法庭里看不到多年来一直申请“重审”的原被告人们的身影。被谓为战争时期最大的镇压言论自由事件的“横滨事件”的五位幸存者,全都作古了。继承了他们遗志的遗属们,在东京高级法院听到了“支持开始重审”的决定。
即使如此,也花去了他们太多的岁月。“舍身之审乃拾命哉”,这是原被告人的原《中央公论》社出版部部员木村亨在82岁临终的前几天所写下的诗句,含义深厚。
横滨事件是中央公论社和改造社的一些人,因涉嫌“企图再次结成共产党”而被神奈川县警察局特高科逮捕的事件。有4人死于严刑拷打。
昨天,东京高级法院做出了“原被告人们在重刑拷问下,有可能不得以地作了违心的坦白”的认定。在特高科的纪录里有:“你小心你将是第二个(死于重刑的)小林多喜二!”“在现在的圣战下你竟敢干这种事!”等逼供的纪录。20年前,当木村亨告诉辩护团团长的森川金寿,虽战争已结束了40年,但他还没有得到平反时,森川愕然失色(出自树花舍的《快开始重审横滨事件》)。
91岁的森川是拄着拐杖由木村的妻子真纪搀扶着步入高院法庭的。可见木村们的悲痛的申诉,现在仍被坚定地继承着。然而,我不禁要问他们为了挽回自己一度失去了的名誉,究竟要花费多少的时间和精力?
既然已经决定了重审,那么受审的应该是当时的司法、当时的国家、还有那场战争。



獄死したプロレタリア文学作家
小林多喜二



日本語原文:
裁判所には、長い間「再審」を求め続けていた元被告たちの姿はなかった。戦時下の最大の言論弾圧事件といわれる「横浜事件」の生き残りだったその5人は、ことごとく他界している。訴えを受け継ぐ遺族らが、東京高裁の「再審開始を支持」の決定を聞いた。
それにしても、長い年月がかかった。〈捨てし身の裁きにひろういのち哉〉。元被告の元「中央公論」出版部員、木村亨さんが82歳で亡くなる数日前に残した句にも、その思いがこもる。
横浜事件では、中央公論社や改造社の編集者ら多数が、「共産党の再結成に動いた」などの治安維持法違反容疑で神奈川県警特高課に検挙された。拷問が繰り返され、4人が獄死した。
昨日、東京高裁は「元被告らは、取り調べ中、拷問を受け、やむなく虚偽の疑いのある自白をした」と認定した。「(拷問死した)小林多喜二の二の舞いを覚悟しろ」「この聖戦下によくもやりやがったな」などと迫った特高の拷問の記録もある。弁護団長の森川金寿さんは、20年前、木村亨さんから、戦後40年になるのに名誉回復がなされていないと聞き、愕然(がくぜん)とした(『横浜事件の再審開始を!』樹花舎)。
つえをついて高裁に入る91歳の森川さんに、木村さんの妻まきさんが手を添えていた。木村さんたちの悲痛な訴えは、今もしっかり引き継がれているようだ。しかし、いったん失われた名誉の回復にどれだけの歳月と力を費やさなければならないのかとも思う。
再審が決まれば、裁かれるのは、当時の司法であり、国であり、あの戦争でもある。

松坂 まき 編 「横浜事件 木村亨全発言」







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# by indarel | 2005-03-12 04:48 | 中国語で「天声人語」

3月10日(木) 中国語で天声人语

偏奇楼




“移居麻布,因住所为漆油之二层楼,故名偏奇楼”(出自《偏奇楼漫录》 译者注:日语的油漆一词读音为PENKI,与“偏奇”谐音)。60年前的3月10日拂晓,这所永井荷风久居的房子,在美军的东京大空袭中烧毁了。
“偏奇楼吐烈焰、、、、、、吾仅有观火之力,火焰时愈加猛烈,吾知此乃偏奇楼上万卷藏书之炎也”(出自《罹灾日录》)。荷风停留在原地,久久地看着家家户户的房子在焚烧,人们惊慌失措的光景。当时,隅田川附近的居民区一带,到处都是为了逃离火海而东奔西走的人。
从幸存者所描绘的当天夜晚的画上,我们可以看到火车站里重重叠叠地摆满了遇难居民遗体,河道被人体填平了。一夜之间约有10万人绝命。
第二天《朝日新闻》的头版头条的标题是《B29轰炸机130架,昨晓狂轰帝国首都》。内容是报道了大本营的新闻发表:“击坠敌机15架”。而对我方的受害状况未作具体报道。反思当时的传媒管制,竟使得发生在眼前的惨状未能报道,我不禁撼然。
在此之后,美军反复空袭了名古屋、大阪、神户等大城市,随后又开始了对中小城市的持续轰炸。虽规模不同,但东京的《地狱变相图》在全国各地不断重现。
荷风在受灾的前两天,领取了配给的葡萄酒。所谓葡萄酒,其实只是将葡萄榨成汁的东西,酸的不得入口。所以,他写下了这样的句子:“不知酿造之法而猥琐造酒,似不审外国之情局而开战之愚行也。”


永井 荷風




日本語原文:
「居を麻布に移す。ペンキ塗の二階家なり因つて偏奇館と名づく」(「偏奇館漫録」)。永井荷風が長く住んだこの家は、60年前の3月10日の未明、米軍による東京大空襲で焼かれた。
「わが偏奇館焼亡す……火焔の更に一段烈しく空に舞上るを見たるのみ。これ偏奇館楼上万巻の図書、一時に燃上りしがためと知られたり」(「罹災日録」)。荷風は、家々の焼け落ちる様や人々の姿を、その場にしばらくとどまって見ていた。その頃、隅田川周辺の下町一帯では、猛火に追われた人々が逃げまどっていた。
生き残った人たちが当夜の有り様を描いた絵には、駅構内で幾重にも折り重なったり、川の中を埋め尽くすようにしたりして息絶えた住民たちの姿がある。一晩で約10万人の命が奪われた。
「B29約百三十機、昨暁/帝都市街を盲爆」。翌日の朝日新聞の一面トップの見出しだ。大本営発表を伝えたもので、「十五機を撃墜す」とあるが、被害状況の具体的な記述はない。統制下ながら、目の前の大被災を伝え得なかったことを省みて粛然とする。
この後、米軍は名古屋、大阪、神戸など大都市での空襲を重ね、更には中小都市へも爆撃を加え続けた。東京の地獄絵は、規模こそ違っても全国で繰り返された。
荷風は被災の2日前に、ぶどう酒の配給を受けたという。ぶどうの実をしぼっただけで酸味が甚だしくほとんど口にできないものだった。そして、こう記している。「醸造の法を知らずして猥(みだり)に酒を造らむとするなり。外国の事情を審(つまびらか)にせずして戦を開くの愚なるに似たり」




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# by indarel | 2005-03-12 02:01 | 中国語で「天声人語」

3月9日(水) 中国語で天声人語

昨天的关东地区,忽然春风送暖,气温回升。不过,花粉的飞散量也同步增多,东京的花粉计量呈现出“巨量”的观测值。在街头,目睹戴口罩的人的次数也越来越多。
杉树花粉量的飞散预报始于1987年3月9日。但在当时,我即使听到花粉症这个词,也有一种事不关己的意识。不过,从几年前开始,虽说不重,也渐渐有了眼睛发痒,打喷嚏等症状。从本报的全国舆论调查中可发现,超过三分之一的人觉得自己多少有一些花粉症的症状。在回答“患有花粉症”的人中,政令指定市(有高度自治权的大城市)和东京的23个区等大城市地区所占比例,比其他城市及乡镇要高。
如此说来杉树花粉症容易被视为一种城市病。其实从医学角度上真正认识到杉树花粉症的,却是在享有杉树林荫道盛名的枥木县的日光。1963年,赴任到古河电工医院的斋藤洋三医生发现春季里患有眼部,鼻部过敏症的患者增多。在阅读了日本猪草花粉症等论文后,斋藤的目光停留在了周围的高大地杉树上了。他从来没想到过杉树会开花。在树林里,他看到在杉树的枝头长满了只要轻微一碰就散出大量黄色花粉的雄花。(出自铃泽书店的《杉树花粉症》)
我的一位久患花粉症数十年的朋友说希望把杉树砍掉。虽明知病重的人痛苦万分,但盲目地乱砍乱伐也不是办法。当我们用自己的肌肤去感受遥远的自然时,得到的回报却是“病症”。这让我感觉到存在在人类,社会和大自然之间的某种巨大的均衡正在崩溃。


日光杉並木道





日本語原文:
昨日の関東地方は、急に春めいて気温が上がった。同時に花粉の飛散も増えたようで、東京での花粉情報は「非常に多い」。街では、マスクをかけた人が目立った。
スギ花粉の飛散予報が始まったのは、87年の3月9日である。当時は、花粉症と聞いても他人事(ひとごと)のように思っていたが、数年前からは、ごく軽いものの、目がかゆくなったり、くしゃみが出たりすることがある。
本紙の全国世論調査では、回答者の3分の1強が、花粉症の何らかの症状を自覚していた。「花粉症だ」と答えた人の割合は、政令指定市や東京23区などの大都市の方が、ほかの市や町村部より高かった。
一種の「都会病」のようにも見えるが、スギ花粉症が医学的に確認されたのは、杉並木で有名な栃木県の日光だった。63年、古河電工の病院に赴任した斎藤洋三医師が、鼻や目のアレルギー症状を訴える患者が春に増えることに気づいた。
日本でのブタクサ花粉症の論文などを読んで、斎藤さんが周りを見回すと、立派なスギが目に入った。スギの木に花が咲くなどとは思いつかなかった。しかし林に入ってみると、ちょっと触れただけでたくさんの黄色い花粉を飛ばす雄花が、小枝の先にびっしりとついていた(『スギ花粉症』すずさわ書店)。
花粉症歴・数十年の知人が「スギは伐(き)ってほしい」と言っていた。重症の人は相当つらいのだろうが、やみくもに伐るわけにもいくまい。はるか遠くにある自然を肌で感じた結果が「症状」になってしまうとは。人と社会と自然との、大きな釣り合いの崩れを感じる。


斎藤 洋三先生





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# by indarel | 2005-03-11 01:14 | 中国語で「天声人語」

3月8日(火) 中国語で天声人語

三一書房「核時代に生きる」



广岛市核爆炸发生后第二年,诗人栗原贞子的诗《地下室里的新生儿》发表于栗原自身编辑的杂志《中国文化》上。读1981年的复印版,我们可以看到在标题《地下室里的新生儿》下,标有副标题《原子弹秘话》。
据说栗原是通过别人的话得知了核辐射后分娩的情景,写成这首诗的。夜晚,在原广岛储金局的地下室里避难的临盆妇女即将分娩,“此时,一位从后背到左臂肘都负有重烧伤的接生婆说‘让我给你接生吧’”(出自三一书房的《活在核时代》)。
婴儿出生了,可是没有接生温水的设备。一直等到天明,一位轻伤的核辐射伤员来到“核子平原”,捡回了被烧得变了形的脸盆,用蘸水的布条擦干净了婴儿的身体。“母子是靠核辐射伤员们的支持才活下来的”。
多年以后,这位母亲这样对栗原说:“当时虽然你没在地下室,但是请你把当时的情景,我们当时的心情,如实地写成作品”
战后,栗原所表现的一贯如一的反战.反核及反骨的坚强精神是不同寻常的。基于其根底,应该存在着这首诗所象征的那种为延续生命而不惜生命的精神。在进行着史无前例的杀戮的城市的黑夜中,人们为了将一个新的生命送到世间而尽力。随后,新的生命之火点燃了,然而,另一盏生命的灯火却慢慢地熄去。
栗原也肩负着深深地创伤,为了和平的诞生用尽了平生的力量。之后,在被核辐射60年后的早春,92岁时离去了。

栗原 貞子さん


日本語原文:
詩人・栗原貞子さんの「生ましめんかな」は、広島市での被爆の翌年、栗原さん自身が編集した雑誌『中国文化』に発表された。81年に復刻された本を見ると、題は「生ましめん哉」で、副題に「原子爆弾秘話」とある。
栗原さんは、この被爆後の出産の様子を人づてに聞いて、詩にまとめたという。夜、旧広島貯金局の地下室で、避難していた臨月の女性が産気づく。「その時、『私が生ませてあげましょう』と言った産婆さんは背中一面と左腕の肘(ひじ)までやけただれていた重傷者だった」(『核時代に生きる』三一書房)。
赤ん坊は生まれたが、産湯の設備はない。夜明けを待って、軽傷の被爆者が「原子野」に出て行き、焼けてくちゃくちゃになった洗面器を拾い、布切れを水にひたして赤ん坊を拭(ふ)き清めた。「母子は被爆した人々に支えられて生きのびたのだった」
後年、この母親が栗原さんに言ったという。「あの時、地下室にいられなかったのに、その時の状況や、私たちの気持ちを、そのまま作品化して下さって」
栗原さんが戦後に貫いた反戦、反核、そして反骨の精神は並はずれて強固なものだった。その底には、この詩が象徴する、命がけの命の伝達があったのではないか。未曽有(みぞう)の殺戮(さつりく)が行われた街の深い闇の中で、人々が一つの命を世に送り出すために力を尽くす。そして、新しい命を灯(とも)して、一つの命が消えてゆく。
栗原さんもまた、深い傷を背負いながらも、平和を生ましめんとして力の限りを尽くした。そして、被爆60年の早春に、92歳で逝った。






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# by indarel | 2005-03-10 08:19 | 中国語で「天声人語」

3月7日(月) 中国語で天声人語


国会議事堂



早晨,我步行15分钟到车站。途中的急坡害得我喘粗气。虽说是为了上班,也让我感到疲劳。最近,每当遇到要爬坡的时候,常常令我思考起通勤津贴:为什么坐电车的人可以拿到车费,而步行的人却分文不得呢?
我之所以想到这个问题,是因为在国会的提问中,得知有给徒步上下班的市职员发“通勤津贴”的市政府的存在。除了给通勤距离3公里以下者发5700日元的市以外,有的市还给1公里以下者发4950日元、2公里者发5750日元等,按距离算账。
现在,有的企业为了减少通勤车的数量,开始发徒步津贴。目的是为了减少环境负荷,减少停车场费用,增进员工的健康,等等。对此,我不想一概否认对步行付出代价的行为。
然而,某些市政府的例子,在我看来却只是窝里亲。我惊于在当今竟然还存在着这种津贴。负有监察职责的议会到底在做什么?想到此我忽然又发现在议会里还存在着更加惊人的事情。
比如在名古屋市议会,议员出席议会或委员会时,每人每天竟以“赔偿损失费”的名目发1万日元。这是他们每月150万日元月薪以外的收入。另外还发给他们市内公交车、地铁的免费车票。像这种给出席议会的议员发津贴的制度,在神户市等地也随处可见。
看来这种“你给我就要”的意识,不只存在于连西装都发的大阪市职员中间的。唉,我真是佩服各路衙门的挥金如土的感觉。真不知道是不是在某处不会还存在着“爬坡津贴”的吧。


名古屋市議会


日本語原文:
朝、駅まで15分ほど歩く。急な上り坂があって息が切れる。出勤のためとはいえ、疲れてしまう。このごろ、坂にさしかかるたびに、通勤手当について考えている。電車代は出るのに、なぜ徒歩だと1円にもならないのか、と。
 こんな思いを抱くのは、国会の質疑で、歩いて通う市職員に毎月「歩行手当」を渡す市役所があるのを知ったからだ。3キロ未満は一律5700円の市のほか、1キロ以下なら4950円で、2キロは5750円と距離に応じて区切る市もあるという。
 企業には、マイカー通勤を減らすために、徒歩手当を出し始めたところがある。環境にやさしい。駐車場にかける経費も減らせる。社員の健康にもいい。だから、歩くことへの対価を一概に否定する気はない。
 だが、市役所の例は、なれ合いにしか見えない。いまどき、こんな手当を残していることに驚く。チェック役の議会は何をしているのか。と、思いきや、議会にはもっとすごい事例があった。
 たとえば、名古屋市議会だ。議員は本会議や委員会に出ると「費用弁償」の名目で、1日につき1万円もらえる。毎月の報酬など約150万円とは別枠だ。市バスと市営地下鉄の無料乗車券も支給されるのにである。議会に出席した議員に金を配る制度は、神戸市など各地にも転がっている。
 もらえるものは、もらっておこう。こんな意識は、スーツまで支給されていた、あの大阪市職員だけではないようだ。いやはや、お役所の金銭感覚には恐れ入る。ひょっとすると「坂道手当」なんてのもあったりするのだろうか。




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# by indarel | 2005-03-10 08:15 | 中国語で「天声人語」

朝日新聞コラム「天声人語」の中国語翻訳

はじめまして、日漢翻訳博客堂々主、indarelでごさいます。よろしくお願いします。
このブログでは、「朝日新聞」コラムの「天声人語」を中国語に翻訳しています。ほか、日中の古典、漢詩、散文、エッセイなどを幅広く取り上げてゆきます。翻訳技術の研究記録や、堂主の日常所感も兼ねて、日記形式で記録します。毎日更新できる自信はありませんが、いまの目標は週3回です。




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# by indarel | 2005-03-10 00:38 | プロフィール